大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)4125号 判決
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〔判決理由〕三、示談成立の抗弁について
(一) 原告小次郎が本件事故につき被告らとの間で被告主張のような示談契約を締結したこと、同原告が被告岩井の提供した示談金一七六万円の受領を拒絶したこと、および同被告が昭和四三年九月二七日右示談金を弁済供託したことは当事者間に争いがない。
そこで原告小次郎が本件示談契約をするにつき、原告陽行ら四名から代理権を与えられていたかどうかについて判断する。
原告陽行ら四名が原告小次郎の子であることは当事者間に争いがなく、原告小次郎の署名およびその名下の印影の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分の成立は<証拠>を綜合すると、被告岩井は、信栄が死亡した直後から原告小次郎との間で本件事故についての示談交渉を始め、一年半余の交渉期間を経た後、前示談契約が成立したものであること、そして、右交渉期間中に原告小次郎の要求額は一、〇〇〇万円、三、八〇〇万円、一、三八〇万円、九〇〇万円、五〇〇万円と変動し、これに対して被告岩井は自動車保険契約(任意保険)を締結している大東火災保険株式会社の係員訴外蓮尾と相談したり、あるいは右蓮尾を同道したりして原告小次郎と交渉を続けたが、右保険会社の査定額との関係もあつて三〇〇万円の回答しか出さなかつたので交渉は一時中断したこともあり、その後原告小次郎の申出により、昭和四三年六月一七日に被告岩井と前記蓮尾が、さらに同月二〇日には右蓮尾と同人の上司である訴外岩田が被告岩井の代りに原告小次郎方を訪れて交渉した結果、原告小次郎の最終の提示額三三〇万円と被告側の最終の提示額三二〇万円の中をとつて三二六万円で妥結したのであるが、原告小次郎が子供達(原告陽行ら四名のこと)の手前できるだけ高額で解決したようにしたいので、四万円は受領済みということにして示談書の上では三三〇万円で妥結したようにしてもらいたいと申出たので、右三三〇万円に既払の信栄の死亡に至るまでの治療費を加算した額を本件事故による総損害額として前示のよう契約内容の示談書を作成して後日原告陽行ら四名の委任状を提示するということで原告小次郎が署名押印していること、および右示談交渉の場に原告博行が同席していたこともあることの各事実が認められ、右認定に反する原告小次郎本人尋問の結果は措信し難く、他に右認定を覆すにたる証拠はない。
右事実によると、原告陽行ら四名は原告小次郎に対して示談契約締結についての代理権を援与していたものと確認し得ないこともないようであるが、前掲証拠によれば、さらに、前記示談交渉の過程において、原告小次郎が被告岩井らに対し、原告陽行ら四名の委任を受け代理権を授与されている旨表示したことはないし、被告岩井ないし前記保険会社の係員が原告小次郎に対し事前に委任状の提示を求めたこともなく、また、原告小次郎が要求額を減額したり被告側の提示額について回答をする場合は、そのつど子供と相談するといつて一旦交渉を打切り次回に続行していたが、前記昭和四三年六月一七日の交渉の際には当初四〇〇万円を要求していたのが、他に相談することなくその日のうちに三二〇万円まで減額していること、および前記示談書作成の際、原告小次郎と前記保険会社の係員との合意の内容は、その場で右係員により被告岩井に対して電話連絡がなされ、同日中に同係員が右示談書を被告岩井方に持参し同被告も署名押印しているが、被告山野については被告岩井が代りに氏名を記入しただけで押印はされておらず、示談書に原告小次郎が原告陽行ら四名の代理人である旨の表示もなされていないことの各事実が認められ、さらに、前掲各証拠に原告陽行の各本人尋問の結果を綜合すると、原告陽行ら四名は母親を死亡させた加害者を恨みに思つていたので、当初から被告らとの示談にはあまり積極的でなく、被告らを困らせる目的で三、八〇〇万円という莫大な金額を主張したこともあつたが、その後、次第に譲歩していつても被告側から思わしい回答が得られなかつたので、昭和四三年五月ごろ、原告小次郎を説得して原告ら全員が本件損害賠償請求を弁護士たる原告ら訴訟代理人に委任し、同弁護士らが原告らの代理人として被告岩井および前記保険会社の係員らと示談交渉をなし、示談による解決の可能な最低額は五〇〇万円である旨明示していたことが認められ、右事実を併せ考えると、原告小次郎が前記示談契約当時原告陽行ら四名を代理して被告らと示談契約を締結する権限を有していたものとは認め難く、むしろ、原告小次郎は当初から原告陽行ら四名と相談して決めた要求額を被告らに提示して有利な回答を得るために交渉をするという単なる事実行為を担当していたにすぎず、かりに交渉の過程において一定の金額以上で原告陽行ら四名を代理して示談契約を締結する権限を授与されたことがあつたとしても、右権限は遅くとも前記弁護士に対する委任のあつた段階で消滅していたものと推認される。
そうだとすると、被告ら主張の示談契約は原告陽行ら四名に対しては効力を有せず、被告らの主張は同原告らに関する限り理由がない。
(二) 次に、被告ら主張の表見代理について判断する。
被告らは原告陽行ら四名が原告小次郎に対し自賠保険金の請求をし含めて加害者と交渉する権限を授与しており、前記示談契約については右代理権を基本代理権として表見代理が成立すると主張するが、原告陽行ら四名が原告小次郎に対して本件事故についての自賠保険金の請求および受領についての代理権を授与したと認めるに足る証拠はなく、かえつて、成立に争いのない乙第七号証ないし第一〇号証原告陽行ら四名から弁護士天野一夫に対する各委任状によると、右権限は原告陽行ら四名から直接弁護士たる原告訴訟代理人天野一夫に委任されていることが認められる。もつとも、右乙第七号証ないし第一〇号証と前掲乙第一号証を対比すると右委任状はいずれも原告小次郎が作成したものと推認し得ないでもないが、そうだとしても右事実から直ちに原告小次郎が右権限を授与されていたと推認し得るものではない。
また、原告小次郎は原告陽行ら四名とも相談して被告らと示談交渉をしていたことが認められるが、右示談交渉自体は前示認定のとおり単なる事実行為であつて、原告小次郎が原告陽行ら四名を代理して法律行為としての示談契約を締結する権限を有していたものと認めるにたる証拠は存しないから、原告小次郎には民法一一〇条の表見代理の成立の前提としての基本代理権が存しないといわなければならない。
なお、原告小次郎が示談交渉の過程において一定の金額以上で原告陽行ら四名を代理して示談契約を締結する権限を有していたと推認する余地もないではないので(そうだとしても、右権限は前示認定のとおり示談契約締結時には消滅している。)、消滅した代理権の範囲をこえてなされた無権代理行為として民法一一〇条と一一二条の重複適用による表見代理の成立が問題となるが、本件示談契約は、前示認定のとおり原告らが事件を弁護士に委任し、弁護士たる代理人が五〇〇万円の金額を提示して交渉をしている間に右弁護士を差し置き、法律専門家である弁護士の提示した最低額五〇〇万円を大巾に下まわつて、しかも、受領していない四万円を受領しているように記載して実際に成立した示談額三五八万円〇七八四円よりも高額の三六二万〇七八四円で示談が成立したかの如き示談書を作成するという異常な状況でなされたものであること、および、証人蓮尾の証言および被告岩井本人尋問の結果によれば、原告小次郎から右三五八万〇七八四円では子供の手前まずいからといわれたので、、三六二万〇七八四円(治療費を除くと三三〇万円の示談が成立したかのような示談書を作成したことが認められ、原告小次郎は実際に妥結した示談額三五八万〇七八四円(死亡に至るまでの治療費を除くと三三〇万円)では原告陽行ら四名の了解を得ることが難しい旨暗黙に表示していたと考えられること等を考慮すると、被告らが原告小次郎に代理権ありと信ずるにつき正当な事由があつたものとは認め難い。
したがつて、被告らの表見代理の主張もまた理由がない。
(三) そこで、本件示談契約の原告小次郎に対する効力について考えるに、本件示談契約は、原告小次郎が原告陽行ら四名の代理人をも兼ねて原告ら五名の損害全部について締結したものであることは前示認定のとおりであるところ、右示談契約によつて原告小次郎の損害額を幾許と定めたかについては、本件全証拠によつてもこれを認定することはできない。
すなわち、証人蓮尾の証言によると、前記保険会社は本件事故による損害につき当初信栄の逸失利益九四万円余、慰謝料二〇〇万円、葬儀費二〇万円、合計三一四万円余で二〇パーセントの過失相殺をして賠償額は二五〇万円と査定していたことが認められ、また弁論の全趣旨によると、右保険会社は本件示談締結当時、慰謝料額を二六〇万円逸失利益を一一八万四、五八八円、葬儀費を三〇万円とし右合計額四、〇八万四、五八八円から二〇パーセントの過失相殺をして、賠償額を三二六万、七、六七〇円と査定していたことが認められるが、実際の示談額は右金額と一致していないし、また、右示談契約において右の各損害費目ごとに損害額が確定されていると認めるにたる証拠もなく、さらに、過失利益については右逸失利益額を各原告が相続分に応じて相続したものとし、葬儀費についても実際に出捐した者の損害としたものと解することができるとしても、慰謝料については、原告ら全員について一括して定めただけであつて、原告ら各々の慰謝料を幾許と定めるのか、死亡した信栄に対して慰謝料を認めるのかどうかに関しては、右示談契約の内容および契約締結時の一切の事情を考慮してもこれを確定することはできない。
そうだとすると、本件示談契約は原告小次郎が前記三五八万〇七八四円をこえる損害賠償請求権を放棄したという限度でしかその内容を確定することができず、したがつて、原告小次郎は本件示談によつては右の限度でしか拘束されないものといわざるを得ない
(本井巽 笠井昇 伊東武是)